技術士(機械部門、電気電子部門)の「だぁー」が、気が向いた時に、思いつくまま綴っています。 みなさんも、気が向いた時に、思いつくままコメント下さい。 拍手コメントは、非公開なので、どんどん、好き勝手書いてね。
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だぁーです。
23年前の1月17日に、阪神淡路大震災が発生しました。
当時僕は、神戸中心部から直線距離で30km程度の堺市西部に住んでいました。
3階建てアパートの3階...
堺市は震度4でしたが、かなり大きく、かなり長い時間揺れていると感じました。
テレビがテレビ台から落下して筐体にひびが入ったくらいで、その他は特に被害は
ありませんでした。
地震の翌日か二日後くらいだったでしょうか。
会社で、被災した社員のお宅に物資を届ける役目を仰せつかりました。
作業着、ヘルメット、安全靴と脚絆という格好で、保存が効く食料、水、
カセットコンロとボンベなどを買い求めながら被災者宅まで行きました。
僕が担当した方のお宅は甲子園でした。
阪神電車は梅田から甲子園までは動いていたので、そこまでは普通に
行くことができました。
阪神電車には、水の入ったポリタンクなどを持った人が大勢乗っていました。
神戸担当の同僚は、甲子園から歩いて行きました。
甲子園駅を降りて、メモに書かれた住所だけを頼りに被災者宅を探しました。
甲子園駅南西の住宅地は、倒壊した家屋などはありませんでしたが、
瓦が落ちたのか、ブルーシートで屋根を覆った家などは見かけました。
道路は、部分的に陥没したり、盛り上がったりしていました。
ガスの匂いだと思われる、かすかな匂いが漂っていました。
電柱に表示された住居表示などを見ながら、なんとか被災した社員のお宅に
たどり着きました。
その社員は九州出張中で、帰れなくなっていましたが、奥さんと娘さんが、
怪我もなく無事に居られましたのでほっとしたのを覚えています。
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スイッチを押すと点灯する照明...
蛇口をひねると出る水...
スイッチを押すと火が付くガスコンロ...
当たり前と思うことが普通にできるありがたさを感じました。
テレビから流れる被災地の状況と、公共広告機構のコマーシャル...
今も忘れられません。
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大地震などが発生すると、多くの方がボランティアで復興の支援をされている
姿をテレビなどで見ます。
僕も、何かできないかと思いつつも、いつも義援金で協力させてもらうくらいの
ことしかできていません。
技術士の資格を取ってからは特に、「国家からお墨付きをもらったプロのエンジニア」と
してできることはないのか、考えてしまいます。
でも、一人では何もできません。
自衛隊の予備自衛官制度のような技術者派遣の制度というようなものがあっても
よいのかと思ったりもします。
これから先の僕の人生、エンジニアとして何ができるか考えていきたいと思います。
阪神淡路大震災被災者のご遺族の方にお悔やみを申し上げます。