技術士(機械部門、電気電子部門)の「だぁー」が、気が向いた時に、思いつくまま綴っています。 みなさんも、気が向いた時に、思いつくままコメント下さい。 拍手コメントは、非公開なので、どんどん、好き勝手書いてね。
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だぁーです。
大学を卒業して、会社に入ったころは、NECのPC-9801の 全盛期でした。
でも、会社に入った時に、ソフトの仕事をするとは思ってもいませんでした。
前の会社に入った時には、これから真空蒸着装置の事業に乗り出すので、真空の勉強をしてこいと、入社3か月で言い渡され、親会社の研究所に1年間の研修に出されました。
その研究所では、世界No.1とも言えるような超高真空技術の仕事をしていました。
筑波の高エネルギー物理学研究所(現、高エネルギー加速器研究機構)でも仕事をしていました。
なんと、ノーベル賞を取った小林先生の研究室の施設を使わせてもらっていたんだよ~ん。
会社に戻ったら真空技術のスペシャリストとなるつもりだったのに、いざ帰ってみたら、真空蒸着装置の制御装置のプログラムを組めっていうのが最初の仕事...
PC-9801を使った装置で、言語はN88BASIC。
大学の研究室で、大学院生が誰も使っていないときに、PC-9801をちょこちょこっと使っていたので、N88BASICは少しはできました。
アセンブリ言語をしていたから、BASICなんて簡単簡単...
自社で蒸着技術を身に付けるための実験装置なので、必要最小限の動きを制御し、必要最小限の表示がされればよいのですが...
販売する装置に搭載するような自動制御機能、装置の状態によって画面の色が変わるような製品並みのグラフィック表示...
これが僕の会社での仕事、第1号でした。
僕としては、最高の仕事をしたって思っていたのですが...
実際に製品としての真空蒸着装置の制御装置にはパソコンを使わないということがわかったのは、それから間もなくでした。
なんとなくほろ苦い、ソフト屋さんデビューでした。
だぁーです。
久々の続編です。
大学4年で研究室に配属になりました。
研究室の学生の部屋には、NECのPC-9801FとSHARPのMZ-80Bというパソコンががありました。
当時、人気を二分したパソコンです。
PC-9801Fは、主に大学院生が研究にも遊びにも使ってました。
学部生はMZ-80Bでゲームをしていました。
プログラム電卓でのプログラミングにはまった僕は、他に使えるパソコンがないか、実験室など見てまわりました。
もう使っていない実験装置に、SHARPのMZ-80K2というパソコンが埃をかぶっていました。
助手の人に許可を得て、自分の机のところに持ってきました。
記憶媒体はフロッピーディスクではなく、カセットテープです。
BASICなどの高級言語は使えないマシン。
紙の上でアセンブリ言語でプログラムして、「ハンドアセンブル」と言って、プログラムを数値データに手で変換して、その数値データをキーボードから打ち込んでいくという、超原始的なパソコンでした。
皆が、順番待ちでFDD付きの新しいパソコンを使っているのに、僕だけ古いパソコンを独占して使ってました。
そこで役に立ったのが、プログラム電卓での機械語ライクのプログラミングです。
したいと思う計算は、だいたい何でもできました。(大した計算をしようとしなかっただけという意見もありますが...)
しかし、PC-9801FやMZ-80Bのようにグラフィックの機能はなく、文字しか出ませんでした。
ただ、「疑似グラフィック」という、文字のサイズのいろんな模様があり、その模様の組合せで簡単な絵なら描くことができました。
そのパソコンで計算とかしていない時には、僕が作った「鳩時計」のプログラムが動いていました。
ふだんは、扉が閉まった絵と、時刻が表示されているだけですが、ちょうど0分になると、扉が開いて中に鳩がいる絵に変わって、「ぴっぽ、ぴっぽ」って鳴るようなプログラムです。
それ以外にも、ストップウォッチの機能があったり、目覚ましの機能があったりと、なかなか優れものの時計でした。
自画自賛...(^^;)
そいつとは、卒業するまで約1年間、いい相棒でした。
なかなか優秀な遊び相手、兼、計算道具でした。
新しいパソコンでゲームばっかりしていた友人たちより、埃をかぶっていた古いパソコンでプログラミングをして遊んでいた僕の方が、よっぽど楽しいパソコンライフだったと思います。
楽しかったなぁ...
大学を卒業して、会社に入った頃は、PC-9801の全盛期...
この話は、また次回に...